第253回 < 今年のウルトラマラソンへのチャレンジ >

昨年、はじめてウルトラマラソンに参加しました。初めて出た大会は、富士五湖チャレンジという大会でした。前回のコラムで書いたように、初心者ということで参加した71kmでも十分にきつい体験でしたが、再度チャレンジを考えていました。考えた結果、今年は、昨年走った仲間たちと「星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン」に参加することになりました。しかし、申込時の意気込みはどこへ行ったか、昨年以上の練習不足というより運動不足、さらに体調不良もあり、直前まで参加を悩みました。しかし、「悩むなら行け!」という友達の言葉に背中を押されて、100kmの距離、2,000メートル以上の高低差を走破する国内屈指の高難易度コース、変態の祭典に挑むことになりました。

長野県南佐久郡にある小海線野辺山駅に近いスタート会場に午前3時半に集合です。大会の説明などを受け、いよいよ午前5時にスタートしました。参加者は年々増えており、42km、71km、100kmの参加者をあわせると今年は3,000名の登録があったようです。そのうち、100km参加者だけでも約2,400名の申込みがありました。ウルトラマラソンの人気上昇もあるとは思いますが、22回目となる本大会の地元の方々のサポートも素晴らしく整備されたものでした。

100kmのうち、山間道20%、舗装路80%という割合でしたが、最初の5kmを走ったところから15kmの登りに入ります。高低差600m弱の登りのほとんどは、少し整備された砂利道を走ります。その後400mの標高差の細い砂利道を一気に駆け降りることになりますが、ここまででも足への負担は相当です。今回は、全部で6カ所の関門が設けられており、時間内に到着しないと先へは進めなくなります。私のような準備不足のウルトラマラソン初心者にとっては、各関門の制限時間との戦いも出てきます。
昨年からの毎月の走行距離が15km程度という、他の参加者の方が聞いたら怒りそうな練習(ともいえない)内容にしては、30km程度までは周りのペースに合わせて快調に走ることが出来ました。しかし、何しろアップダウンの激しいコースです。更に、この日の長野は快晴で、気温も25度以上、体力の消耗も激しくなってきました。緩やかな長い下り坂の途中、42kmの関門が出てきます。まだ時間に余裕はありますが、厳しい日差しの中、既にかなり疲労していました。少し長めの休憩をとり、50kmの関門に向かいます。既に6時間走っており、意識も朦朧としてきます。
考える時間だけはいやになるほどたっぷりあります。10時間以上、走るという単純な運動を続ける中で私が考えたことを思い出してみると、仕事のこと、家族のこと、一緒に参加した友人のこと、周りの景色、これまでとこれからを何キロ何分で走るかの単純計算の繰り返し、次の休憩所はどこか、ということがぐるぐると頭の中を回っていました。この日は、八ヶ岳や南アルプスが綺麗に見える素晴らしい快晴でした。また、山間に咲く、大ぶりな野生の藤の花と、民家のお庭にある藤棚の花が満開で見事でした。

50kmの関門では、制限時間まで20分ほどの余裕しかありませんでした。気持ちは急ぎますが、足は進まなくなります。55km地点で、8km近く先を走る友人とすれ違いました。ここでハイタッチをして元気をもらいます。しかし、長く続いた上り坂の先にある59km地点の休憩所では、疲労が溜まり、休憩時間が長引きました。ここから次の関門の71km地点まで2時間で到着すれば先に進めます。最後はだらだらと続く上り坂からの急坂登坂となります。気力を振り絞って制限時間15分前に71kmに到着です。日差しは強く、体力は限界に近く、脱水症状気味です。昨年走った富士五湖のウルトラマラソンは71kmでしたので、この先は未知の体験です。しかも、ここからは馬越峠という、500mの標高差がある8kmの距離を登る急坂が続きます。

もがきながら足を前に進め続けます。79km地点の関門である峠の頂上に辿り着いたとき、残念ながら制限時間に5分足りませんでした。11時間45分で今回の挑戦は終わってしまいました。翌日の仕事に備え、当日中に身支度をして、痛む足をひきずりながら最終列車で東京に戻りました。準備不足の身で大会に挑ませてもらい、そのうえ、79kmとはいえ走ることが出来たのは、家族の理解と大会を支えるボランティアの皆様方、そして何より友達の親身なサポートのおかげです。地方活性化策の一環で、風光明媚な各地でスポーツイベントが盛んです。これからも友達と各地の大会に参加して、日本の良さを学んでいきたいと思います。