「銭湯」と掛けて「投資環境の変化」と解きます。その心は 。。。

私の住む浅草にも温泉があるのは案外知られているようで、褐色の温泉を手軽に楽しめる蛇骨湯は地元の人のみならず近隣に投宿する海外からのお客様にも利用されているそうです。確かに近年の銭湯に複数の言語での利用方法の解説があちこちで見られることから、銭湯文化というのも日本の文化の一つとして認知されているようでもあります。

その他方で、家にお風呂が普通にあることで利用者は減少の一途をたどっているのも現実で、東京銭湯スタンプラリーを趣味として仕事帰りにあちこちの銭湯に立ち寄るのが楽しみな私にとって、あるはずの銭湯が行ってみたらなくなっていて分譲住宅やマンションになっていた、なんてことも、今まで100軒の銭湯にたどり着くまでにどれだけ体験したことやら。。。

水風呂、お好きですか?

さて、そんな銭湯での私の楽しみの一つが実は水風呂、です。前述の蛇骨湯を始め、サウナ付き銭湯、というのもあちこちで見られるのですがそういうところですと必ず水風呂もあるのです。そんな銭湯に行くと、たっぷり体をお湯で温めたあと、水風呂に、つめたーい、と言いながら入り、また温かいお湯に戻る、を何度か繰り返すのですが、二回目、三回目と回を重ねると水風呂が最初ほど冷たく感じなくなるのです。また、面白いことに先日、露天風呂のある銭湯では、内風呂が43度に対して、露天風呂の温度が36度といわゆる不感湯、水風呂が25度程度、というところで、温かい内風呂のあとの露天風呂がぬるく感じていたのに、水風呂のあとの露天風呂が暖かく感じた、のです。 人間の感覚というのが如何に相対的に評価しているかがわかります。

ゆでガエルは本当に茹で上がるのか?

さて、お風呂のお湯、ということでなぜか思い出した言葉に、ゆでガエル、という言葉があります。カエルを水の入った釜にいれて、ゆっくり火をかけていくと、カエルは水温がじわじわ上昇することで温度上昇に気づくことなく茹で上がってしまう、という嘘のような話なのですが、実際にはカエルは逃げるそうです。でも、この寓話は緩やかな環境変化に人間は気が付かずに留まることを言い表したもの、ですし、事実、人間の行動はそれまでの環境やの習慣等で出来上がったコンフォートゾーンには、もしそれに気づかない程度に変化していたとしてもその中に留まりがちです。

投資環境でゆでガエルになっていないか?

投資の世界では、旧来的とはいえ基本となる評価基準が当てはまらなくなった時に、従来の理論では説明できないことに尤もらしい説明を上乗せしてあたかもこれこそが新しい評価基準だと言ったり、前提の異なる新しい世界に突入した、と言うことが往々にしてあります。投資環境が変わったからなのか、投資対象が本当に革新的なものだから、なのか、それとも投資参加者のリスク許容度の変化なのか、いろいろと考えるべきことはあるように思いますが、それを考えるに当たっては、水風呂に入って肌感覚をリセットするように、果たしてそれが温度を感じない位にぬるかったはずのお湯が気づいたら47度くらいに上昇していたからなのか、25度の冷水に飛び込んでも当てはまるものなのか、今一度考えるのも大事かもしれません。