第298回 < 日本の名勝 - 錦帯橋を渡って >

 今年のゴールデンウィークを使って、国内の名勝を幾つか周ることができました。最初に訪れたのは、山口県岩国市にある錦帯橋です。平成24年に竣工した岩国錦帯橋空港から車で20分ほど移動すると、山口県一の大河で瀬戸内海に注ぎ込む錦川にかかる、5つのアーチを連ねた美しい橋が見えてきます。少し歴史をひも解くと、岩国は、関ヶ原の合戦のキーマンとなった毛利元就の孫、吉川広家が1600年の合戦後に封じられた地に築いた岩国城の城下町として栄えました。 

城と町を遮る錦川は氾濫することも多く、しばしば渡河が難しかったようです。城下町と城や武家屋敷を隔てる川に、氾濫にも耐えうる流れない橋の建立を思い立った3代目領主である吉川広嘉(ひろよし)は、200mもの川幅に悩まされましたが、中国の杭州西湖にある六連の石造アーチ橋と甲斐の木造の刎橋(はねばし)である猿橋を参考に現在の形に思い至ったとされています。諸説ありますが、結果的には、何度かの改修を経て、今の形に落ち着いたようです。河川内に4つの橋脚をもち、それぞれの橋脚が当時の築城技術を用いた石垣で支えられていますが、これらの石垣部分は、1673年の完成時からほとんど変わっていないそうです。 

橋を少し離れたところから見てみると、鮮やかな新緑と青空に映えて実に美しい景色です。川原から橋の裏を見上げると、釘を使わない組み木によって出来た、機能美を備えた幾何学模様を見ることができます。実際に橋を渡ってみれば、見た目以上の急勾配ですが、遠目からは分からない浅い階段状の段差によって楽に歩行することができます。城下町側から橋を渡った城側の川原は美しい並木通りとなっており、今は新緑が目にまぶしい季節ですが、春は桜、秋はもみじが人の目を楽しませます。

長時間見ていても飽きない錦帯橋が心に残り、後でいろいろと調べてみると、錦帯橋については、2004年の橋の架け替えを契機に多くの研究がされていることが分かりました。特に興味深いのが、1670年当時の棟梁である児玉九郎右衛門が設計したとされるアーチ形状には、力学的に最も安定するとされ、ガウティ等の近代の建設にもみられるカテナリー曲線(懸垂線)が用いられているなど、綿密に設計された構造となっている点です。カテナリー曲線とは両端を固定した紐の垂れ下がった形状であり、これを上下逆さにした形状は全ての部材に圧力がかかることになり、安定する形態となります。ベルヌーイやライプニッツ等の数学者によって、1691年に初めてあらわされたカテナリー曲線ですが、日本のクラフトマンシップ(職人芸)によって、1670年代にこのような建造物が作られていたのは素晴らしいことだと思います。

昨年のゴールデンウィークは、萩往還道を往復するマラソン大会に出場するために訪れた山口県でしたが(http://www.astmaxam.com/mailmagazine/mail.php?detail=274)、今年も偶然、観光で訪れることになりました。今年も日本の歴史を学び、その素晴らしさを再発見する機会に恵まれました。