第201回  < 中央銀行のトラウマと過剰流動性相場の後半戦 >

日本銀行や米国FRBは、過去に何度も金融緩和政策を実行しており、その出口時点では様々な問題に直面してきました。1972年の日本における過度な金融緩和は、狂乱物価を引き起こし、1980年代の過度な金融緩和は、その後のバブルへとつながっていきました。これがトラウマとなり、その後の日銀は長期間にわたる金融緩和政策に対して消極的になっていたと思われます。今日、黒田総裁の下、そのトラウマから逃れ、長期にわたるマネタリーベースの拡大に取組んでいますが、今度は、バブル崩壊を招いた金融引締めのタイミングのトラウマと戦うことになると思われます。一方、FRBも、1988年のグリーンスパン議長による流動性供給と低金利政策をきっかけとしたバブル醸成、及び1998年のLTCM対応時以降の金融政策が作り出し、2008年に強烈な結末を迎えたバブル崩壊が大きなトラウマになっていると思われます。

過去のコラムでも、上述の金融緩和によって引き起こされたバブルと、その崩壊のプロセスについて複数回触れてきました。景気刺激策として、中央銀行は市場に資金を豊富に供給する手法は、ある程度効能も認知された処方箋として、政府も中央銀行も使用しやすいものです。また、足下の不景気の改善を図るなどの大義名分が存在するため、導入は迅速に行われる傾向にあります。一方で、一度始めた資金供給を停止していく作業が難しいのは、現在の米国の状況を見れば明らかであり、周知のとおりです。上述の中央銀行のトラウマが更に出口戦略を難しいものにしていると考えられます。

今回の金融緩和によってもたらされた過剰流動性資金が向かった先はどこだったのでしょうか。市場参加者も中央銀行同様に過去のトラウマに苛まれているとも考えられます。過去に、IT企業をはじめとする新興企業や、新興国市場株式、不動産、サブプライム関連の仕組証券等に殺到した過剰流動性資金は、今回の緩和政策下では、分かりやすいリスク資産に集中しているような気配は見られません。もちろん、前述の各市場にはそれなりに資金が戻っていますが、バブルの醸成と崩壊を演出するほどのものではないと思われます。しかし、これまでの過剰流動性相場と大きく異なるわけでもありません。金融機関の融資姿勢は徐々に軟化していますし、貸し出し条件もかつての厳しさはないようです。また、中国における信託商品、理財商品のような問題も見られます。

1990年代後半以降のヘッジファンド戦略の運用成績を市場環境毎に分けて見てみると、共通しているのは、過剰流動性相場の初期段階においては、マネージド・フューチャーズ戦略を除いたほとんどの戦略が良好なリターンを記録しています。一方、金利戦略をはじめとする多くの戦略のパフォーマンスが伸び悩み始めることが、過剰流動性相場のピーク時に見られる現象です。その後、市場の変動率が上昇を始める段階では、優勝劣敗が明らかに出るものの、グローバルマクロ戦略の活躍が見られ、最後に一部の市場のクラッシュが始まる中で、マネージド・フューチャーズ戦略の運用成績が復活する傾向があります。そして、回復期の初期には不良債権系の戦略が有効になります。

以上は、極端に単純化した戦略毎のパフォーマンスのサイクルなので、サイクル毎に異なることも見られますが、このサイクルに当てはめると、過剰流動性市場の後半戦が大分近づいているという印象を受けています。ここからは、各国中銀の姿勢とヘッジファンド戦略毎の運用成績の出方を注視しながら、アセットアロケーションを慎重に考えて行きたいと思います。