白木信一郎の「投資運用苦楽」

第348回 < 非伝統的金融政策の常態化について >

各国の政府、中央銀行が、コロナ禍への対策として無制限とも言える資金供給を継続しています。伝統的な金融緩和が短期金利の調節であったのに対し、2001年から日本の中央銀行が世界に先駆けて大規模に実施し、また、リーマンショック後の米国が実施に踏み切った、「量的緩和政策(QE)」が非伝統的金融政策であると言われています。その後、日銀、米国FRB、欧州ECBによる資産購入の範囲が拡大し、社債、株式、REIT等にまで及んできました。黒田日銀が無制限の量的緩和を実施したのに続き、コロナ禍をきっかけとして、FRBでも米国債、住宅ローン担保証券を無制限に買い取る政策を採用しています。

見方によっては、各国政府と中央銀行は、コロナ禍を免罪符として、非伝統的な金融政策を加速させ、常態化させたようでもあります。非伝統的金融政策への批判は、財政規律の破綻と、インフレーション、ひいてスタグフレーションの発生への警戒が根底にあると思われます。すなわち、無制限の量的緩和によって生じる「過剰流動性」が資産価格高騰の原因となる、という理屈です。しかし、実際には、長期にわたり量的緩和を実施してきた日本において、物価上昇率は低位のまま推移し、インフレの萌芽さえみられません。結果として、金融システムの維持を目的として、量的緩和を止めることができない状態はさらに長期化するように思えます。

なぜ、無制限の量的緩和が継続し、政府部門の借金が右肩上がりとなっても、物価は安定し、実感としての景気が大きく改善することがないのでしょうか。また、現在、スタグフレーションにつながるような悪い物価上昇の兆しも見られません。この点、納得できる理由として、証券アナリストジャーナル20206月号で森田長太郎氏が、自身の寄稿「過剰流動性と債券市場」の中で、日銀の量的緩和と言われる金融政策は、日銀と民間銀行の間で日銀当座預金と長期国債を交換しているだけ(のように見える)、というコメントがあげられます。また、同氏は、中央銀行が長期国債を市場から大量に購入することの意味は、市場に存在するリスクを政府部門の一部である中央銀行が大幅に吸収することであり、このことで、中央銀行は長期金利を自由にコントロールできることを実証した、という趣旨のことを述べています。また、同氏は、寄稿の中で、日銀による無制限の流動性供給は、価格発見機能を伴わない、「矛盾を孕んだ流動性(森田氏)」の供給であり、永続可能とは思えないと結んでいます。

非伝統的金融政策である中央銀行による無制限の量的緩和、そして増加し続ける政府部門の負債によって、コロナ禍であっても金融市場は奇妙な安定を保っているように見えます。この状況はいつまで維持できるのでしょうか。先日、過去に席を並べて仕事させていただいたこともある、著名エコノミスト五十嵐敬喜氏の「借金は問題ないという論理」というコラムが日経新聞に掲載されていました。その中で、同氏は、人々が政府を信頼し続け、人々が経済に成長期待を一切抱かないことを前提とすれば、将来世代の誰かがツケを払うこともインフレも起きずに借金は継続可能という趣旨の、若干シニカルな論理を展開されていました。

20年に及ぶ量的緩和の継続で、非伝統的と言われてきた金融政策の効果や弊害への検証も進んできたように思えます。しかし、日本において量的緩和からの出口戦略を描くことは未だ困難な状況です。また、景気改善と成長率の上昇から、金利正常化を図った途端にコロナ禍に見舞われた米国においても金融政策の変更は当面見込まれません。個人的には、金融業界における社会人生活の大半を、金利低下と量的緩和の環境下で過ごしており、現在の金融政策が、もはや非伝統的であるとの認識は希薄ですが、教科書的な伝統的金融政策が効果を発揮するためには、景気回復、成長率上昇を伴う金利の上昇が前提となります。それは、政府は財政支出、規制緩和を含めた景気刺激策を総動員し、民間では企業が活力をもって利益を上げ、個人所得が向上する社会が実現した先であるように思えます。