白木信一郎の「投資運用苦楽」

第349回 < ヘッジファンド運用のいま >

先月、6月2日付で、国内ヘッジファンド運用会社として20年近い歴史のある、あすかアセットマネジメントの取締役に就任いたしました。同社は、米国の有名ヘッジファンドの日本の現地法人として約20年前にスタートしましたが、経営、運用は日本人によって行われており、和製ヘッジファンドの先駆けとして、国内外の投資家の注目を集めました。とはいえ、設立当時、国内においてヘッジファンドは未だ黎明期にあり、ヘッジファンド投資を行っている国内機関投資家の数は限定的で、海外投資家からの資金が大半でした。

1950年代から、金融市場での価格の偏りに目をつけた割安投資に代表される、裁定取引は個人単位で行われていました。著名な数学者や経済学者が、自分たちの理論を実践する場として、株式市場、ワラント市場や転換社債市場を利用するようになり、高いリターンを上げるようになると、様々な投資家が惹きつけられ、徐々に資産運用ビジネスの中に組み込まれるようになりました。エドワード・ソープ、クロード・シャノン、マイロン・ショールズ、ロバート・マートン等、天才と言われた数学者、経済学者が金融市場で利益を上げることは、投資家にとって信じやすいストーリーでした。さらに、ヘッジファンドの黎明期には、絶対収益で年率20%を超す結果を出すファンドばかりが目につきました。

2004年以降、国内の中小型株式の株価高騰の中、高い成功報酬を求めて、ヘッジファンドを名乗る小型株特化型の独立系運用会社が国内でも乱立しました。2006年に中小型株市場がピークアウトするとともに、一連の初期のヘッジファンドバブルは日本では収束していきました。その後、国内機関投資家の資金が、ヘッジファンドの中でも特に海外の大手ファンドへ向く中、2008年のリーマンショック前後では、欧米のヘッジファンド運用会社が市場のボラティリティを増幅させたのではないかという議論や、そもそも過大なレバレッジが金融危機の原因となったのではないか、という議論があり、批判的な論調でヘッジファンドが頻繁に取り上げられることになりました。また、同じ時期に、バーナード・マドフによる巨額の詐欺事件が起きたことや、その数年後、日本においてもAIJ事件が起きたことで、当時、ヘッジファンドに対するマイナスのイメージが定着した感もありました。

しかし、ヘッジファンドとは、株式市場などの金融市場の変動に振らされずに、プラスの収益獲得を目指す多様な運用手法を用いるファンドの総称です。特に、今残っている国内ヘッジファンドの大半は、国内株式のロングショート戦略を軸とした運用によって、リスクを抑制し、安定したリターン獲得を目指すものです。あすかアセットマネジメントは、その創業当時から愚直に、株式ロングショート戦略を軸に、安定したリターンを追求してきました。時代に応じて、金利アービトラージ戦略、クオンツを活用したマーケットニュートラル戦略、エンゲージメント戦略、CATボンド戦略などを取り入れてきましたが、熟練したファンドマネージャーによる、ロングショート戦略は、創業当時から継続している主要戦略となります。市場中立型に近い運用スタイルで、市場の変動幅からの影響を受けず、リスクを抑えたリターンの提供を目指す、あすかアセットマネジメントの運用手法は、ヘッジファンド黎明期に見られた、明らかな裁定機会の存在を必要とはしていません。例えば、熟練したファンド運用者が、市場の方向性に大幅にベットすることなく、取引の勝率を50%より僅かでも上方に押し上げたうえで、複利で収益を積み上げていくようなイメージです。

ヘッジファンドという概念が一般的になってから半世紀以上が経ち、金融市場における明らかな裁定機会は、情報の非対称性が失われる過程で、当時に比べるとだいぶ減ったように思えます。AIを活用した新しい運用なども見られますが、市場からコンスタントに収益を上げられるモデルの存在は稀なようです。もちろん、今でも、一握りの天才が、金融市場への大勢の参加者の裏をかいて、ニッチな裁定機会をものにしている可能性はあります。しかし、その存在、手法が公になった時点で、大勢の投資家が同種の手法に追随することで裁定機会は失われます。主観になりますが、四半世紀、様々なヘッジファンドを近くで眺め、当時、一部の天才に対する憧れの念を抱いていたのに対し、現在のヘッジファンド運用者に対しては、熟練した職人に対するような尊敬の念を抱くことが多くなったことに、ヘッジファンドの変遷を感じています。