第367回 < アルケゴス・キャピタルによる投資銀行の大規模損失について >

今回、大規模な金融取引による損失は、タイガー系の運用会社に所属していた元ヘッジファンド運用者であり、当時インサイダー問題などから引退した後、自身のファミリー・オフィスを通じて活動していた、ビル・ファン氏による取引が原因でした。2021年3月29日に野村証券が20億ドルの損失の可能性を開示し、クレディ・スイスがその後、最終的に47億ドルの損失を開示、コラム執筆時に判明しているところでは、モルガン・スタンレーが約9億ドルの損失を公表するなど、投資銀行による損失の総額は80億ドルから100億ドル、およそ1兆円規模となるようです。

過去に金融市場において、大きな社会問題となったのは、ノーベル賞受賞学者を擁する、当時の大手ヘッジファンドLTCMが、1998年に4カ月間で投資家資金46億ドルを失った事件でした。当初、過度のレバレッジをかけた取引を多数行いながら、高い収益率をあげていましたが、アジア通貨危機やロシアの短期国債のデフォルト等の影響で市場が大きく変動したことをきっかけに、多くの取引からファンドが対応できる以上の損失が発生しました。結果的に、金融市場安定化のために米国中央銀行が出動せざるを得ない事態となり、当時の大手金融機関も多額の損失を計上した事件です。

また、2008年に詐欺事件として発覚した、バーナード・マドフ氏による架空運用は、規模としてはこれらを上回るものでした。マドフ氏は、良好な運用収益を宣伝し、その人脈を活用して当時、175億ドルもの資金を募集しました。虚偽の運用成績の結果、その資金は650億ドルになっているはずが、実際には、まったく運用には回されず、本人の隠し口座に眠っていたという事件です。当時募集された資金は、投資家などによる訴訟を通じて、これまでに144億ドルが返還されたと言われています。

今回のアルケゴス事件は、その性質においては、前出のLTCMに近いケースと考えられます。ビル・ファン氏が、過去に築いたタイガー・アジアファンド時代の人脈や信用を活用して、一(いち)ファミリー・オフィスであるにも関わらず、多くの投資銀行でのスワップ取引やCFD(差金決済取引)を行い、結果的には、一つの投資銀行を通じてでは不可能な額のレバレッジをかけていたようです。一説には、アルケゴス・キャピタルの純資産である100億ドルに対して、複数の投資銀行を通じて、1,000億ドル(約11兆円)ものポジションを構築していたとのことです。今回の破綻の直接の引き金は、米メディア会社のバイアコム社の株価が増資などのニュースで急落したところに、アルケゴスのマージン・コールが重なり、取引先の投資銀行が担保として保有していた同社株を売却したことで、アルケゴスの損失許容度を超えて損失が拡大したことにあります。

アルケゴス・キャピタルは、投資家資金を預かっておらず、ヘッジファンドを含む運用会社には該当しませんでした。個人を含めた投資家に対して詐欺を働いたわけでもなく、また、直接には損失を与えていません。しかし、上記のレバレッジが事実であれば、本来、投資銀行が設定できるレバレッジ枠を逸脱していた可能性も考えられ、スワップやCFDを通じてレバレッジを提供していた投資銀行に対して、十分な情報の開示を行っていなかったものと考えられます。また、株価に対して大きな変動をもたらしたことで、間接的には個人を含めた市場参加者に大きな損失を与えた可能性も考えられます。米国の規制当局(SEC)は、顧客資金を扱うヘッジファンドを含む運用会社に対しては、厳しい情報開示を求めるものの、基本的には個人会社であるファミリー・オフィスに対して、同様の規制を求めていないことが、今回の問題の一因と考えられています。

今回の事件をきっかけに、ファミリー・オフィスに対する投資銀行の取引時の情報開示要請が高まること、また、規制当局による定期的な情報開示の要請が高まることが想定されます。その余波によって、市場におけるリスク許容度の低下も考えられることから、当面、市場を注視しておく必要があると思われます。