みやたしのぶの「投資小噺」

屑屋に古本屋、オークション。今や一物多価は不動産だけのものではなくて

私の住んでいる浅草も気付けば10月。今日から緊急事態宣言も解除されるということで、今までもそこそこに遊びに来ていたところに袖の触れ合うくらいの人混みになるくらい、より多くの人たちにお越しいただけるのかしら、と期待している人も多いとかってテレビで見た私は引き続き引きこもり生活を満喫しておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は朝起きては、種から立派に育ったアボガドに水をあげる、いまだに時間が止まったように静かな stay home な日々でございます。

今お金を落としていただけるもの – 映え資本主義

さて、浅草の町も、このところはいわゆる映えを求めた方に支えられてきたわけですので、そういう方々は我らが創業60年を軽く超えるお土産屋にある昔ながらの雷おこしや人形焼に飛びつくこともなく、レンタル着物屋さんでちょっと流行りの大正デモクラシー的な着物にブーツの組み合わせで街を歩きつつ、ちょっと可愛くて、ちょっと普通にない食べ歩きにもってこいのフィンガーフードを楽しみつつ、なんなら人力車に乗りつつスカイツリーとの時代的なアンバランスを楽しむなんて感じでいらっしゃるようにも聞いていますが、大事なのは(お土産が、自分は東京行ってきたぞー、的にアピールするのではなく)その瞬間をいかに楽しんでいるか、それをこの瞬間に共有することに価値があるようでして、金融にたっぷりまみれたヤボったいおじさんの見方で言えば、その非日常性に対して時間とお金をかけているんだろうなぁ、なんて思うわけです。

特売だからどこまでも買いに行く!
特売だからどこまでも買いに行く!

ありふれたものにはもうお金は落ちない?

するってーと、あのお店のあれと、こっちのお店のあれとが同じだと、ついぞ安い方を買うためにちょっと遠くてもあっちに行っちゃう、的な主婦の賢い買い物、別名で言うところの価格の裁定行為の始まりなんてものが働くか、というと、浅草においては、ここに住んでいる人たちにとっての日々の暮らしであり、やっとこの20年で浅草1丁目と2丁目(なんなら雷門1丁目と2丁目や花川戸1丁目と2丁目、さらには西浅草までも含めて)大型スーパーが6軒にもなったことで、今日のこの夕方の時間は特売だからあっちのお店に行く!ってするくらいで、わざわざ浅草まで足を運んでくださる方々は、同じスイーツでも見た目などが違うから、値段がちょっと高くても、街の外れであっても、そのお店のそれを求める、って価格と商品の独自性が機能するのかな、なんて思うわけです。

一物多価の代名詞といえば。。。

それって、まぁ、我らがお土産屋さんにとっても、日々の商売というよりはその事業承継・相続問題の対策で時々検討を繰り返しては買わせていただけることもあれば、買い逃すこともそこそこ多い、不動産物件と似たようなところがあって、不動産ってのは、突き詰めると土地と建物の二つだけ、だから値段はそうそう変わるはずもないはずなのに、その場所が隣になるだけで、とかフロアーが一階上に上がるだけで色々変わりますから、まぁ、一つとして同じものはありません。それだからか、昔から一物四価とか五価なんて言われてまして、売り買いの結果である実勢価格の他に、国土交通省が年に一度元旦における取引の目安となる「公示価格」、公示価格は限られた場所だけなので、それを補うように都道府県が毎年7月1日時点の取引価格の目安として示す「基準値標準価格」、国税庁が毎年元旦基準で大体公示価格の8割くらい、街の通りごとに決めることで相続税や贈与税の計算に使う価格で、よく新聞で銀座4丁目の交差点付近がいくら、という話のネタの「路線価格」、そして、市区町村が固定資産税を決めるために3年に一度、その前の年の公示価格の7割程度に定める「固定資産税評価額」というのがある世界です。じゃあ、この年に一度とかに変わる価格等が本当に実勢価格を決める要素になるのか、といえば、まぁ、そんなことはなくて、「隣の土地は倍払ってでも買え」なんて諺があるくらいですから、理論値だけがものをいう世界ではないのは人の世の常のようです。事実、向こう数年間で得られそうな収益を現在価値に引き戻した合計額で決める、なんて DCF法とか、周辺のあそことこことがいくらでそれぞれ売れたからその間をとって、なんて比較法を(売り買いの基準だけでなく相続税の計算でも)使ってみたり、はたまた、ワンルームマンション一部屋を買うときに結構これくらいで貸せば年利どれくらいで回るかなー、と債券と同じように年率で考えたり、と、金融の世界となんら変わらない考え方があちこちで見られるわけです。まぁ、そんなですから、我がお土産屋の相続問題ってやつも、御多分に洩れず、ただの副業とはいえ普段の金融仕事で使うような知恵をなんで浅草の土産物屋で使うんだろう、と思いつつも、土産物屋の監査役でもある私がなぜか頑張る羽目になっているのです。それを思うと全くうちの跡取り取締役連中の体たらくと言ったら。。。

今や一物一価なんて幻?

おっと、愚痴がダダ漏れだ。閑話休題。

で、一物多価の話って、街で見るものの値段や不動産だけでなく、家に気づいたら積み上がっている本とかCD とか洋服をいかに売るか、って普段の身の回りのものについても、直面しませんか?もうこの10年以上、出来るだけものを溜めないように気に入った本数冊だけ、CDは買ってもすぐに売る、など、ミニマリストっぽい生活を目指したい!って実は思っていたんです。おかげで財布も超シンプルになり、今時のスマホの決済機能とかのおかげで持ち歩くカードも随分と減って、見た目はだいぶそれっぽくなりつつあるんです。さらに言えば、財布の中身も最近ではいつも空っぽです。でも、家の中はどうもだめですね。ついぞ本は買って読むし、社労士やCFPの通信教育の山のような教科書に問題集 もあるしでものは減るどころか増える一方。流石に、社労士試験はこの8月に終わって、教育訓練給付金も受け取ったばかりで合格したかどうかわかっていないので、この試験の通信教育の資料は捨てられませんが、読み終わった本は古本屋さんに売ってもいいかな、と思うのですが、売る先を手軽だけど1冊10円するかしないか、という大手に売るのか、専門書を取り扱うカレーのメッカ、神保町の小さい古本屋に持っていくか、それともヤフオクやメルカリなどで売る方がちょっとは高くなるかもだけど手間は掛かる、と思うか、っていう売る値段にも選択肢が増えてしまっていますよね。でも、こうやって選ぶということは疲れます。

ミニマリストでシンプルライフ、これって今時のはずなのに。。。

事実、オバマ元大統領が言っていました。選ぶことはストレスだ。大統領の仕事は選ぶことだ。一日中選択し続けているのだから、同じシャツとスーツだけ買って、毎日それを繰り返し着ることで、選択という仕事を一つだけでも減らすんだ、と。私もそれに倣って、会社のCOOはただの超オタクなおっさんなだけじゃない。一応これでもあれこれ考えて投資小噺のネタとオチの選択を常に迫られるんだ。だから、服を買うならユニクロで、シンプルな柄に、だってミニマリストなのだし、だから、休日の買い物や日々の服選びのような選ぶことのストレスを減らしたいんだ、って言っていたら家族から、それは単にものぐさなだけだ、人並みにおしゃれに気遣って仕事しなさい、と怒られています。。。

さて、私の愚痴の話ばかりしていてもしょうがありません。ここは一応投資小噺。ですので、ちゃんと投資の話をしましょうか。

セカンダリー戦略の肝は買値?それとも?

この投資小噺で随分前に、屑屋の話をご紹介したのですが、読んだことありますでしょうか。というか、いい機会ですので是非読んでください。読んできましたね。

まだ読んでない?ほら早く早く。。。

で、読んで頂いたという前提で続けますと、江戸の屑屋は今の金融の世界で言うと弊社のやっているセカンダリー戦略なんだ、という話をすべくご紹介したのですが、江戸の頃のセカンダリー戦略をやっていた屑屋ってのは、生き延びるためには物の値段をうまくつけて買い取ってはうまく売れる程度に高く売るわけですから、中に予想外の金貨が詰まっているかどうかを見抜く必要はないものの、目利きというのが出来ないと困る。同様に弊社も買う時の価格の目利きが効くのでこんな商売をしているわけですが、投資ってのは買うだけじゃダメでちゃんと売って利益を出すのがお仕事。ということは売り時と売る値段の目線ってのを知らないといけない訳です。あ、セカンダリーで買わせて頂くものの一つ、投資持ち分の場合は売ることで回収するのではなく、それがいくらでどのくらいの時間をかけて回収できるか、と話が変わるのですが、まぁ、いずれにしても如何に現金化するかが投資の一番大事なところ、なのです。

買った資産は売るまでの間、どう評価する?

では、前回の財務諸表の話でちょっとだけ触れましたが、買う、売るのタイミングだけでなく、持っている間においてこれらはどう見ていたらいいでしょう、というのが次の問題になります。株式に投資持ち分と資産項目としてまとめたらどれもこれも一緒。数字上はなんの違いもないじゃないか、あとは売れるまで何もわからないのだし、としたいところですし、日本にいて普通に会計とか扱わないといけない人たちからすれば、(誤解と会計士さんあたりからの非難を承知で、乱暴な言い方をすれば)買ったらその価格のまま、もし現金化が難しそうなら、その確からさを踏まえて半値かそれ以下にして貸倒処理していいよ、という低価法が日本の会計基準(J-GAAPなんてその筋ではよばれてますが) で極めてコンサバな評価なのだ、と(会計士が胸を張って)いうことで企業会計あたりでは取り扱うことになります。

まぁ、そうですよね。性質は違いますが、仕入れた雷おこしは売れるまで在庫で売上が立ってはじめて在庫がなくなる、という経理上のプロセスになりますが、それを買った瞬間に売上を計上する、なんて江戸っ子くらい気の早いことはしませんよね。売れた瞬間にやっと売上計上するのが普通ですし、このところまでの人の出入りの少ない時期なら特に、いつ売れるか分からないなら賞味期限切れで売れなくなってフードロスを起こしてSDGs問題、それ以上に在庫の償却という厄介ごとがある訳ですから、利益を計上するのは売れた時に、と言う、世に言う発生主義で仕入れた商品から保有する金融投資までお手手繋いでなんでも一緒、と日本的に考えるといえば一貫性が保たれるように思えてきますね。

ですが、どうも最近の、日本から見た rest of the world なグローバル社会においてはそうは思わないようでして、持っているもの(資産ですね)も借りている借金(負債ですね)も、その金融的な価値で評価すべきじゃないの、と言う風潮になっています。その、金融的な価値、と言うのが曲者でして、ざっくりいえば「今売ったらいくらになるか」で考えよう、なのです。まぁ、そうですよね。財務諸表の世界、言い換えると、その読み手である出資者や債権者にとってその財務諸表で気になるのは、(残念なことに)会社による将来の社会的貢献や意義としての価値、ではなくて、その会社やファンドをその瞬間に清算して得られる資金に相当する純資産であったり、債務に対する返済能力となる資産の担保力、といった、金の糸目の話、なのです。いやですねぇ、金の話ばかりの大人の世界って。

ここでポイントになるのは会計基準の問題?それとも投資家の期待に応える努力?

とはいえ、会社にしてもファンドにしてもその利害関係者にとって、どんなに儲かっていても(償却損を出さない程度に損していても)常に簿価のままで評価損益が見えないJ-GAAPよりも、より「換金可能な価格」の評価の積み上げで出来上がったIFRS や US-GAAPなどの会計基準の財務諸表の方が、日本の投資家市場よりも全然資産規模が大きくてプレイヤーの数も社会的影響力の大きいグローバルな投資家市場においては標準的に受け入れられている、のです。とはいえ、じゃあ、その換金可能な資産価格ってどう言うものなのよ、と言う疑問が出てくることになります。取引にほぼ制限のない株式等の取引所で取引されている金融商品、いわば上場株式などであれば、その日の終わりに売れて資金化できただろうから、と言う前提の元、その日の終値が評価額の基準として使われます。個人的には、大型株だけでしょ、そんなの。数日に1回取引があるかどうか、っていう上場株だってあるし、マーケットメイカーが間に入って市場構成をする上場商品なんて、マーケットメイカーの気配値でどうとでもなる世界じゃないか、等、言い出せばキリがないものの、それはそれ、となっているのです。でも、取引所どころかそんな相対取引すら存在せず、そもそも譲渡制限があるからその制限で好きな形で売却できない未上場株式についてはどうするのよ、と言う問題が当然に起こってきます。この辺りについても、書き出せばキリがないし海外ファンドの運営のキモの部分、弊社のファンド運営の企業秘密にもなるので多くは語らないものの、まぁ、上述の不動産の評価とある意味同じようなツールを使いながら、会計基準と照らし合わせて会計監査人とハードで仁義なき戦いを毎年することになる、とだけ申し上げるとします。まぁ、大変なんすよ、マヂで。しかも今年は諸般の事情と頑固者の監査人(ぴーっ)相手でキツかった。え、お前も頑固だろうって?それは言わないお約束。

今、あちこちで言われている「海外の資金を日本へ!」は実現可能?

さて、じゃあ、わざわざそんなハードな国外会計基準をしなくてもいいんじゃない?なんて、思いたいですよね。でも、チラッと言いましたが、国内のファンド、不動産から、バイアウト、ベンチャーキャピタルにしても、今国内の投資家だけでなく、海外からの投資も受け入れたい、とみんな考えているのです。しかも日本の法制度で日本語で書かれた投資事業有限責任組合法に基づく組合に、なんて。いつも思うんですよね。自分は英語の文章が(正確には)読めない、なので、国内の法制度に基づくスキームでの投資がいい、と言うのですが、海外の投資家には日本に合わせろ、って、日本至上主義っぽくて今時のdiversity and inclusion に逆行してません?実際そう考えた時には、国内の投資家さんには国内スキームを、海外の投資家さんには海外スキームをそれぞれ準備して共同投資するパラレルファンドを使うのか、それとも、マスターファンドを国内か国外に作って、そこに国内資金と海外資金を束ねるようにする、マスター・フィーダー・スキームを使う、のどちらかでしかないのですよね。でも、これは投資の器の議論でしかありませんので、資産評価/会計基準の問題というのはそれぞれの器で何を適切に採用するか、というところの解決になっていないのです。

ルールを変えるのか、それとも

海外からの投資を受け入れるには、仮に国内投資家向けのスキームではその法律の都合上、低価法をベースにしつつもアップラウンドは(ついでに言えばダウンラウンドも)反映させることでアップサイドの評価益も取り込む「太田昭和モデル」をベースにした「中小企業等投資事業有限責任組合会計規則」が経済産業省による投資事業有限責任組合契約の雛形で使われるため、ここに海外の投資家を連れてこよう、なんてすると、日本の日本語で書かれた日本の事情に合わせた法律に対する理解を得るのと同時に、この(こう書くと絶対に怒られるんだよなぁ。。。)募集ラウンドだけを時価と捉える擬似時価評価モデルに理解してくれ、というもう一つのハードルが待っているのです。他方で、これを諦めて海外スキームに連れてこようとすると、J-GAAPですらない「中小企業等投資事業有限責任組合会計規則」は、例えばケイマン諸島の最近施行されたPrivate Fund Act における会計基準の制限では使えないので、結局 IFRS/US-GAAPのような時価評価モデルをこのために使わねばならない、けど国内の投資家さんのための国内スキームでは「中小企業等投資事業有限責任組合会計規則」を使う、という試算評価に二度手間が生じる、という面倒に直面するのです。だから、 IFRS アドプションといいつつ何も変わらなかったのだから、コンバージェンスすればよかったのに、とファンドだけ見ている側からすれば思うのですが、企業会計にこれを持ち込むことでの国内で想定されるダウンサイドを回避すべく判断して今に至っちゃったのだから仕方がない、といえばそうなのかもしれませんが。。。

まぁ、そういう背景もあって、弊社社長なども当時混ぜていただいたのですが、経済産業省と日本ベンチャーキャピタル協会にて公正価値評価に関する検討等をすることで疑似的な時価評価からより実勢に近い評価とは、という指針を出してこの辺りをなんとかしようとしているわけなのですが、とはいえ、社長が混ざっていたのに、と言われそうなのですが、じゃあ、これで出た評価でセカンダリーファンドの運用者である弊社が買うのか、というと、まぁ、不動産の一物多価の話ではないのですが、目安にはなるけどその他の要素を勘案した別の価格を提示することになる、というのが、まぁ実際の売り買いのお話の実態、というところなのかなと。そうでないと、浅草のとあるスーパーの夕方6時のタイムセールで安くなるお惣菜目掛けて浅草中の主婦がお店に押し寄せるのと同じように、セカンダリー業者や買収検討先がみんな同じ理論値に基づく価格提示になりますので、より買いたい人がちょっとでも高い価格を自然と出す、と、そういうことなのです。ほら、隣の土地は倍値を出してでも買え、って。そうやって確か GAFAMって将来の競争相手になりそうな会社を早い段階で買収して(自己規制中)。。。

で、まとめというかディスクレイマーというか

ということで、なんかあれこれ書いていますが、書いている当の本人、実は弊社の価格算出のプロセスに一切絡んでません。なぜかって?私は売り手の皆さんとは売買契約等でお話をすることはありますが、こんなご時世ですので緊急事態宣言が解除になった今であっても、基本的に直(じか)に関わることがないからでして。。。

(たまにはちゃんと)お後がよろしいようで。