Eat, sleep, rave, repeat, read, speak, review, repeat…

浅草も2月になると、毎年節分があって、その年の年男・年女、なのかわかりませんが、そこそこ有名人なんだか芸能人なんだかそんな感じの人たちが浅草寺の本堂から豆を撒くのを、下で喜んで投げつけられる、なんて言うイベントなんてのが、コロナの前までは毎年やっていた様ですが、まぁ、豆と合わせておひねりなんかも入っているからもらいに行くんだ、縁起物だ、なんて言っていますが、実際頭の上から降ってくるわけですから当たると痛い訳でして、個人的には家で、周りのご近所にご迷惑だから、静かに小声で、でも窓を開けて「鬼はーそとー、福はーうちー」なんて気付けば大声でやっていて、つい楽しくなって窓の外のどこまで投げられるかー、なんてやっちゃう訳ですが、たまたま下を通った人には迷惑ですよねぇ。福豆、とはいえ、そこそこ硬いですから。

春節、旧正月、Tet New Year

まぁ、そんなのが、日本の旧正月でして、アジアに目をやりますと、今年は1日から3日までが旧正月で香港やシンガポール辺りはお休み、ベトナムあたりですとTet New Yearと言っておやすみ、中国本土ですと7日くらいまでお休みって言う感じで、私たちの大晦日と正月三が日を目一杯旧暦、というかお月様の最初の新月を祝う形で行っているんですよねぇ。21世紀にもかかわらず、そんなお月様の都合で旧正月が毎年移動するって言うことなので、新暦で正月を祝う私たち日本人的には、中華街でのみその雰囲気を楽しめるってわけですが、コロナの前には、そのおかげでアジアからのお客さまがたくさん、本当にたくさん、いらっしゃって浅草なんて所は日本人がいるの?ってくらいにそんな海外のお客様で賑わったものです。

近場で遊ぶ?引きこもる?

でも、この間の日経に載っていたんです。「コロナの感染状況を考えて近場に出かけるんです」と言う話で雷門の写真が。えっと。。。近場の代表格で浅草?ありがとうございます。私なんざ、近場すぎて、最近 instagramとかfacebookあたりで「浅草にきたよー、こんな店行ったよー」なんて投稿を見て、「へー、みんなそんなところに行くんだー、えーなー」って思ってます。ええ、地元の人間、特に引きこもりの私はそんなにご近所さんでこことあそこと、って決まった所以外そうそう行かないんですよ。

例えば、ちょっとしたお祭りっぽい街の雰囲気の時には、千束通りにある、ちょっと有名な餃子屋さんの隣にある焼き鳥屋さんでレモンサワーを啜りながら焼き鳥を頂いて、熱燗を啜りながら鶏鍋を突いては〆に絶品の鰻重を頂いたり、まぁ、しっかりと飲みたいと思ったら(今立ち退きで話題の)伝法院通り(の、そんな立ち退きとは全く無縁の、伝法院の池とは反対サイド)のずっとお世話になっている小料理屋さんでお店の親父さんとダラダラの飲みながら、今時期はフグでも出してもらいつつ、祭りの話から今時の経済状況の話なんてグダグダと喋ってみたり、たまにはうちの土産物屋のちょっと先にある一見さんお断りのお店に予約もないのにうちの義母の使いで行ってみてはちょっと飲ませてもらっては、ちょっと余ったというレバ刺しを頂戴したり、って、まぁ、いわゆるいつも繰り返す、お決まりのコース、格好良く言えば呑みのルーティンになってます。いわゆる、昔のテレビCMでよく聞いた夏休みの日記で書く「朝起きて、ご飯食べて、夜ねた」、もしくはFatboys Slimの曲のタイトル”Eat, Sleep, Rave, Repeat (食って、寝て、騒いで、の繰り返し)” みたいなものですな。

宿題で出されたら泣いちゃうやつ:プログラム

で、まぁ、このルーティンなんてのは、人間様の世界では習慣とか、決まった行動習性、とか呼ばれたりするわけですが、コンピューターの世界ですとプログラムなんて呼ばれまして、プログラムにとって決められた情報を与えられたらそれに従った出力をする、で、その結果として私たちが今目の前でこんなにダラダラと本題がどこにあるのかわからないブログをウェブブラウザーで読まされている、って訳なのですが、そう考えると、プログラムってのはお約束の塊、ってことになる訳で、プログラムをうまく組まないと、そもそもプログラムが動かないならまだいい方で、お約束が別の解釈をされて、思った通りの出力という形の動作をしてくれない、と言うことになるのです。

さて、コンピューターのプログラムの世界は、その意味で言っても、解釈が一つだけでそれに従って動くと言うことですが、人間世界に戻ってきまして、言葉を使って「〇〇して」という意思疎通、と言うと、同じ日本人同士で日本語を使って会話してみたところで不思議とうまく行かないことが多い訳でして、大体、人が二人集まると大抵仲違いする、なんて言う方もいるくらい。しかも、厄介なことに「いったじゃないか」、「いや、聞いてない」なんてそもそも意思疎通の根っこのところで揉めたりするくらい。そんなのを評してか、この国のとある2世議員の誰かさんが最近言いました。「夫と妻の関係って。。。夫婦みたいなものですよね」。言ってる意味がよくわからない、いやわかるんだけど、何を言っているのかよくわからない。としたら、言った言わないとか空気に消えちゃう言葉ってやつを文字にして残して、目で見て確認しましょう、としたのがいわゆる契約書、ってものです。

日常生活で見せられたら泣いちゃうやつ:契約書

で、契約書、なんて言うと、長々とした数10ページに及ぶ大層なものに聞こえて「弁護士先生を入れてきっちり見てもらわないといけないから大変!」なんて思いがちですが、それこそ、我が土産物屋でお土産ものを買うときに「〇〇を譲ります。対価としていくら貰います。」ってことだって、契約書に落とそうとするならばこれでいい訳です。ただ、こうなると、誰と誰が結んだか、って部分の方が長くなりそうで、いちいち買い物に契約書を結びたくないですよね。なので、こう言う場合には、通常、お金とものを交換しておしまい、で売買が成立したことになるのです。でも、100円払ってペットボトルを受け取ったはいいけど、後から、え、もらってないじゃないか、とか、買い物をお願いした人から、ちゃんとあなた、買い物してきたの?なんて難癖がつきそうなので、まぁ、レシートとか領収書は渡す、受け取る、で売買の証拠を残しておくのがお互いのためだけでなく、他の人に対して説明するのに大事、ってことになる訳です。

日常って契約だらけ。でも、ちょっと大事の時に備えて知ってみよう

100円のペットボトルならば(お小遣いを貯めて買った小学生を除けば、ってまぁ、この場合未成年者の取引なので何かあったら親権者による取り消しが出来るので、それはそれでまた話が違ってきますが、ペットボトルが例ですから。。。)それを買ったら資産を全部失うのでその後の生活に支障をきたして破産、なんてことはなさそうですけど、じゃあ、全財産の半分以上を使って投資をしよう、とか、ローンを組んで、それを使って不動産を買おう、なんて言いますと、そんな買い物をした結果、その他のお約束ごと、例えば住宅ローンの返済や月々のクレジットカードの支払いやカードローンの返済あたりが出来なくなってしまって破産、なんてなったら、そもそもその買い物は返済義務を履行できないようにするために意図的にやったんじゃないの?だったら買い物は無効でしょう!と債権者たちから買い物の取り消しの裁判なんて起こされてしまう可能性なんてのが出てきます。となると、契約というのが、単純に「〇〇を譲ります。対価としていくら貰います。」という何かをする、というお約束だけで済まされなくなり、「私はちゃんと法的に契約を結ぶ能力も権利も持っていて、仮にこの契約にあるお約束を実行しても破産したなんて訴えを受けることはありません」って相手に安心をさせる必要も出てきます。こういうのを契約書の世界だと「表明保証」なんていうこともあります。

ここで出ました。契約を結ぶあなたはあなたですか?問題

さて、最近ではKYC – Know Your Customer- が世界中でうるさくて、あなたがあなたであることを証明する必要があります。そのため、契約書を結ぶときに、あなたである証明、パスポートのコピーから住所の証明になる資料あたりも合わせて出す必要がありますし、先ほどの表明保証では、さらに「私は〇〇の国の国籍を持っていて、ちゃんと法的に契約を結ぶ能力も権利も持っていて、仮にこの契約にあるお約束を実行しても破産したなんて訴えを受けることはありません」なんてことを言わされることになってくるのです。で、前回の話でお話ししたように、今や KYC KY+TCと、税金をどこで納めるか、までいうことになるので、「私は〇〇の国の国籍を持っていて、〇〇の国で納めていて、ちゃんと法的に契約を結ぶ能力も権利も持っていて、仮にこの契約にあるお約束を実行しても破産したなんて訴えを受けることはありません」なんて言わされた上に、米国での税務ステータスにあたるW8-BENW9か、もしあなたが法人などならW8-BEN-Eなのか、W8-IMYを出しながらあなたの組合の組合員から預かったW8/W9フォームも合わせて提出することになってくるのです。

契約の後先までしっかりフォローしまっせ!

さて、契約書って、何をするので対価の何を払う、をするまでに、相手がどういうことをちゃんとやったら物とお金の引き渡しをする、って条件をつけることがあります。例えば、自分が住むための家を買おうとするときに、まだそこに人が住んでいるならば、その人が退去した後に家の鍵の引き渡しの形で家の譲渡と、その代金の支払いをする、なんてことがわかりやすいと思います。とすると、「〇〇が満たされることを条件に、〇〇を譲ります。対価としていくら貰います。」という形で契約書の本質的な話にも変化が見られてくることになりますね。

とすると前提条件が出てきたら、当然に、引き渡したら、何かをする、という話も出てきます。例えば不動産取引だったら、売ります買います、ってお互いに同意したら売買自体は成立ですが、この不動産、今は誰々が保有者ですよ、というのを法務局で登記簿という形で管理しています。これは契約当事者以外にもその所有権が誰なのかわかるようにするルールなのですが、ということは不動産取引をしたら、この登記簿の内容の更新を法務局にお願いする、というのが必要になってきます。これは引き渡しが終わって初めて行えることですので、「〇〇が満たされることを条件に、〇〇を譲ります。対価としていくら貰います。その後に〇〇をします。」という感じでだんだん約束事も長くなってきました。

他方で、物の引き渡しをした後に、実は引き渡された物が本来期待していなかった物だったり、実は欠陥があった、なんてことがひき渡されて時間が経ってからわかること、なんてのもあり得ます。先ほどの例で言えば、住んでみたら、実はお化けと同居する羽目になって毎晩、幸の薄そうなおっさんの声で「いちまーい、にーまーい、さんまーい、あ、まだたくさん書類の山が残ってたぁ」た、なんて。としたら、ちょっとこれは夜寝られなくて困る、のでなんとかするか、値段を下げて、という引き渡し物の瑕疵担保条項、要は傷物だったから値段を下げる、売買を取消しにする、などの条件を予め決めておく、なんてこともあります。ん?そんな契約を結ぶんだから仲良しなんだし、そんな不幸なこと、後で相談すればいいじゃないか、っていう人も多いですよね。でも、こういう離婚の時の条件はさぁ結婚しよう、って一番仲のいい時に決めておくのが一番で、そうでないと、法律上の取り決めに従うのでお互いにとって裁判で不幸な時間と険悪なやりとりをすることになってしまうのです。。。

ここんとこ、内緒にしておきますぜ、旦那:守秘義務だって大事なお約束

さらに、こんな契約書、他の誰かに存在が知られたらちょっと恥ずかしい、なんて思ったりしますよね。そのために、こういう契約があること自体とか、契約内容を他人に知らせてはいけない、という守秘義務条項なんて呼ばれる約束まで入れることがあります。とはいえ、誰にも見せない、とすると、弁護士先生に相談できなかったり、もし他の件で裁判があったときにこの契約が何かの証拠になる、のに出せない、では困りますよね。実際、弁護士さんや会計士さんとかはそれぞれの法律で顧客に対する忠実義務とともに守秘義務が定められていますので、相談してもあなたのプライバシーとともに、この契約についても守ってくれます。また、法令や裁判等で開示が求められる場合、開示してもいい、というのは最近の守秘義務関連ではトレンドになっています。

その他、細かいことだけど、お約束しておきたいこと、実は結構あったりします。

さぁ、気付けば、ただの「〇〇を譲ります。対価としていくら貰います。」という契約がかなりそれっぽく見えてきましたよね。

あと一般的に入りそうなのは、例えば、何か契約の条文の中で裁判等とかで無効です!と言われてしまっても、残りの部分は引き続き同意内容として有効です、と合意したり、契約書における役割を他の誰かに移すなんてことを制限する(そうですよね、この家売りますって売主の立場を、譲渡します、って言われた相手はその家を持っていない可能性がどうみたって高いですから、買う人の立場からすれば勝手にバトンタッチしないでよ、って気分ですよね)、もし裁判するならどこの裁判所に最初に持ち込むか、どこの法律で契約を解釈すべきか(例えば、みんな大好きケイマン諸島には、日本に存在する重過失、いわゆるうっかりミス、という概念がなく、うっかりだろうがただの事務的だろうと、ミスはミス、という扱いになっているそうですので、裁判の時にそういう解釈の違いというのがどこの法律で考えるか案外ポイントになるようです。)、もし契約書に書いていないことが起きたらお互いに誠実に話し合いましょうね、という約束をあらかじめしたり、話し合う際の連絡先はあらかじめここに、とお互いに明示したり、と、まぁ、色々事前に取り決めておくべきことというのがあれこれ出てきますが、この辺りになってくると、どういう契約内容に対しても、なんとなく定型フォーマット、いわゆるテンプレ文言に見えてきますね。

そして、最後に、この取引がマネロンじゃないですよ、私は広域ほにゃらら団ではないですよ、なんて表明保証も別途入れることが、もし金融機関を相手にした契約ですと求められます。ええ、金融機関ですから(きりっ)

ということで契約書って実は。。。

ということで、いわゆる契約書、と呼ばれるものというのが、実は、こんな感じで

  • そもそも合意したい、契約の目的となる行為とその期限
  • その目的を履行するための条件、履行後にやらねばならない行為
  • 履行後の瑕疵担保条項
  • 契約当事者の表明保証
  • 守秘義務条項
  • マネロン・犯罪収益移転防止法に基づく表明保証
  • その他テンプレ文言
  • 調印ページ

別紙で、表明保証等の内容の詳細、契約の目的となる行為に関連した目録、など

というお約束の構成になってくる、というのが見えてきました。ということは、このところずっと追っかけてきた、ファンドに出資約束をするためのsubscription agreementというのも、堅苦しく見えるものの構成そのものは、この骨組からそう大きくは乖離していないことがわかります。万事敵を知ればなんとやら、ってはずなんですよねぇ。

でも、契約で一番大事なこと:現実と本当に合っているの?

ですが、実際のところ、一番面倒なのが、別紙のところで、KY+TCのための情報提供を詳細に求めていることや、その表明保証してもらいたい内容の確認という形の質問票、あたりが、長くて細かくて面倒で、途中で

この辺り適当にティックしちゃってもバレねんじゃね?

とか、かるーく思いたくなる位、これを真面目にやるといくらでも時間が足りなくなるように思えるくらい細かすぎる質問の連続です。でも、ここ、故意であっても自分の理解不足であっても、もちろん間違えた内容で回答すると、そこの記載内容が表明保証の対象になり、表明保証違反じゃないか、と言われて、色々と損害賠償だけにとどまらず、組合契約に記載されている、ファンドの投資家としての権利の剥奪、制限などなど厳しい制裁も加えられることになります。なので、実は結構subscription agreementの契約書の文言のレビューというのは、本体の記述もさることながら、別紙の質問票の対応の方が神経を使いますし、それ以上に大事になるのは、契約の当事者である弊社ファンドとは、法的にはどういうものなのか、という自らが何たるものなのか、を深く理解することなのです。

おかげさまで、こんなものをセカンダリー投資の時には大量でかつ複数の契約書を読まされ、場合によっては取得する持分を発行するGPと自らの置かれた状況を踏まえて交渉したりしながら、誠実に、嘘も手抜きもないように、ちゃんとその結果を反映させていく、という根気のいる作業が、案件の数だけ繰り返し同じことを進めていくことになるのです。

まとめ

ということで、ドキュメント作業というのは、フェスのような狂乱状態の中ひたすら続く read, speak, review, repeatなのです。

eat, sleep, rave, repeat, read, speak, review, repeat

ということで、これでこのところずっと繰り返しやってきた、研修会のための講義ネタのチラ見せというか棚卸しも最終回となりました。なんて書いていたら、気付けば弊社も合併一周年、となりました。あれからもう一年、なんだかんだあれこれバタバタやりつつも気付けば一年、少しずつチームも大きくなり、またみんなの目指すところの共通理解を持ちながら進んでこれました。ある意味、契約書の構成のように基本的なところが再構築されたようなところです。さて、これからが色々と形を作っていく一年になりそうです。どうなりますかねぇ。

私は多分、引き続き色々な契約書を読み続けては交渉しつつ、締結しては次の案件やファンド設立に、なんて “eat, sleep, work-like-rave, repeat (食って、寝て、アホみたいに働かされて、の繰り返し)” から逃れられそうにもありません。。。

お後がよろしいようで。